第三章 史(資)料にみる読谷山村と沖縄戦

第一節 防衛庁関係資料にみる読谷山村と沖縄戦

読谷山(北)飛行場の建設 玉城栄祐

はじめに
1 読谷山村への飛行場の建設計画
2 飛行場用地の接収
3 飛行場建設工事への県民の協力
4 軍の飛行場設定への取り組み
5 北飛行場使用の状況

読谷山村への日本軍部隊配備 玉城裕美子

1 読谷山(北)飛行場建設へ
2 部隊の構成と名称
3 部隊配備の変遷
  期(一九四三年夏から一九四四年五月)
  期(一九四四年六月から八月上旬)
  期(一九四四年八月上旬から十二月上旬)
  期(一九四四年十二月上旬から一九四五年一月)
  期(一九四五年二月から三月末)
  期(一九四五年三月末以降)
4 各部隊について
  航空地上勤務(飛行場関係)部隊
  航空飛行部隊
  駐屯の陸軍兵科
  高射砲部隊
  海軍部隊
5 地図資料紹介
6 証言と陣中日誌
  元日本兵が見た読谷山村と沖縄戦
  村民が見た読谷山村駐屯部隊
  婦人会と日本軍部隊
  国民学校児童と日本軍部隊
  地元有力者と日本軍部隊
  日本軍部隊によるハンセン病者収容

空襲と艦砲射撃 玉城栄祐

はじめに
1 十月十日の空襲
2 もう一つの十・十空襲
3 一月三日の空襲
4 一月四日の空襲
5 一月二十一日の空襲
6 一月二十二日の空襲
7 三月一日の空襲
8 米軍上陸前の空襲と艦砲射撃
9 読谷山村での陸上戦闘

義烈空挺隊の北、中飛行場攻撃 玉城裕美子

はじめに
『攻撃計畫』
『電報綴 南西諸島』

第二節 『モリソン戦史』から見た「十・十空襲」と読谷山 久手堅憲俊

はじめに
『モリソン戦史』とは
【翻訳文】台湾への空襲(抜粋)空母機動部隊の沖縄と台湾空襲 十月十日〜十四日
沖縄近海へ迫る第三八空母機動部隊
沖縄の日本軍航空基地の建設
レイテ上陸作戦の一環としての「十・十空襲」
「十・十空襲」直前の沖縄守備軍の状況
不用意な沖縄守備軍
日本軍の反撃
 資料1 十・十空襲来攻米空母艦隊の全容
 資料2 米第五艦隊の全容
 資料3 日本軍機による「特攻」と米艦船被害

第三節 『沖縄県史 アイスバーグ作戦』にみる読谷山 吉浜忍

はじめに
一 アイスバーグ作戦の策定
二 沖縄情報
  写真及び地図
  地形
  上陸予定地の水路・海浜
  日本軍兵力と配備状況
三 沖縄攻略のシナリオ
四 兵站計画
  食糧
  装備
  衛生
  工兵隊
五 占領計画
  心理作戦
  捕虜
  軍政府計画
六 読谷海岸が米軍上陸地になった理由
七 日本軍の上陸地予想とその後の対応
八 米軍上陸前後の日米両軍
おわりに

第四節 「読谷村戦没者名簿」からみた戦没状況 豊田純志

はじめに
一 海外での戦没状況
  南洋諸島での戦没状況
  フィリピンでの戦没状況
二 県内での戦没状況
  北部地域での戦没状況
  金武・宜野座地区での戦没状況
  石川収容所での戦没状況
  地元読谷山村での戦没状況
  中部戦線(浦添・西原・首里)での戦没状況
  南部地域での戦没状況
三 日本本土での戦没状況
四 軍人と一般住民

第五節 読谷村「戦災実態調査」の分析 豊田純志

はじめに
一 「戦災実態調査」と読谷山村の人口
二 読谷山村民の県内在住者の避難について
三 県内在住者の「捕虜」について
  読谷山村内での「捕虜」
  国頭方面での「捕虜」
四 県内在住者の「収容」について
  読谷山村内での収容
  本島内一二の収容地区
五 読谷山村出身「軍人・軍属・その他」について
六 本土および海外在住の一般住民について
参考資料

第四章 米軍上陸後の収容所 豊田純志

一 上陸地周辺の住民収容
  北谷村砂辺・桑江
  中城村島袋・宜野湾村野嵩
二 読谷山村内での臨時住民収容
  収容された住民の移動
  米軍使役として徴発
三 沖縄本島一二の民間人収容地区(一九四五年四月から八月)
 胡差地区
  収容地区の移動計画
  胡差市の成立
 前原地区
  前原市の成立
 平安座地区
 石川地区
  石川市の成立と「沖縄諮詢会」設立
 田井等地区
  田井等市の成立
  渡野喜屋での住民虐殺
 漢那地区
  金武飛行場の建設と住民の移動
  漢那市の成立
 宜野座地区
  宜野座市の成立
 古知屋地区
  古知屋市の成立
 瀬嵩地区
  瀬嵩市の成立
 大浦崎地区(久志地区)
  久志市の成立
 辺土名地区
  辺土名市の成立
 知念地区
  知念市の成立
  糸満地区の発足
四 軍政地区の変更(一九四五年九月以降)
  市の廃止
五 捕虜収容所
  屋嘉捕虜収容所
  沖縄出身捕虜の解放
  日本兵捕虜
六 楚辺捕虜収容所
資料 楚辺収容所関係記事抜粋(『沖縄新聞』より)
  「沖縄楚辺の会」座談会―楚辺収容所収容者及び関係者
体験記
  赤松※※さんからの手紙より
  津田※※(捕虜収容所暮らし)
  片山※※・岡※※(楚辺収容所で「特中」生活)
  内畑※※(楚辺収容所でのこと)

第五章 帰村時行政文書等にみる村民移動 大湾武

疎開・避難そして捕虜
占領政策と帰村の外的条件
読谷山村への帰村
郷土の建設へ
村建設のバックアップ
建設隊の再入村
「第一次村民移動」帰村始まる
新生「読谷村」へ
教育の再建
次々と帰村「第二次村民移動」
順調にすすんだ「第三次村民移動」
 「第四次村民移動」
 「第五次村民移動」
帰村「移動区分」を振り返る
復興に向けて

第六章 証言記録

はじめに
読谷村民の戦争体験の特徴

男性の証言

松田※※(宇座)ヤーガーの崩落から生き残って
勢理客※※(牧原)長崎で被爆
玉城※※(渡慶次)避難の体験記
佐久川※※(比謝)徴用、十・十空襲、そして避難
福地※※(渡慶次)片腕を失い、火炎放射を受けた体験を越えて
大城※※(高志保)二度も召集されて
山城※※(座喜味)戦時中のこと
波平※※(喜名)球九一七三部隊の用務員として
山内※※(上地)「投降勧告」の役目をやらされて
比嘉※※(上地)戦中戦後を生き抜いて
新垣※※(喜名)八幡製鉄所でアメリカ人捕虜と
宮城※※(大湾)読谷からやんばる、そして投降
松田※※(喜名)護郷隊の一員として
山内※※(宇座)中国の戦野を転戦
比嘉※※(座喜味)字の警防団長を務めた後、防衛隊に
屋宜※※・※※(楚辺)六〇年ぶりに戻った軍事郵便
池原※※(楚辺)再度の召集
冨着※※(伊良皆)軍属として那覇分廠へ
福原※※(那覇市在住)私が勤務していた旧那覇分廠
松村※※(那覇市在住)陸軍保安部那覇出張所について
上原※※(波平)台湾での戦争体験
知花※※(名護市在住)戦争よりも辛いこと
当山※※(座喜味)座喜味の警防団長として
阿波根※※(古堅)家族とともにヤンバル避難
伊波※※(伊良皆)防衛隊員として
松田※※(大湾)悲劇の防波堤(沖縄県蚕業試験場職員としての体験記)
波平※※(喜名)防衛隊員として

女性の証言

福地※※(牧原)生と死の間を生きて
山内※※・※※(宇座)「軍国の妻」だった私
幸喜※※(大湾)戦争で夫を亡くして
長浜※※(大木)空襲を恐れてカーブヤーガマ(恩納村山田)へ
具志堅※※(儀間)戦時下、子どもたちを抱えて
石嶺※※(渡具知)戦争当時の訓導として
宇座※※(座喜味)二人の娘を失って
知花※※(喜名)海外移住「満州からボリビアへ」
国吉※※(渡慶次)陸軍戦闘指揮所の事務員として
照屋※※(上地)字上地の様子と私の戦争体験
玉城※※(儀間)大山医院の看護婦として
渡久山※※(都屋)ひめゆり学徒「私がたどったいくさ場の道」
上原※※(瀬名波)戦火をくぐりぬけた私の着物
知名※※(古堅)フルギンガーで爆撃を受け負傷
安里※※(喜名)婦人会の役割
安里※※(喜名)喜名で保護される
安次嶺※※(渡具知)蚕業指導員から軍属へ
屋良※※(長田)国頭避難

子どもたちの証言

仲宗根※※(宇座)十五歳の戦争難民
神谷※※(宇座)奪われた青春
与那覇※※(高志保)シムクガマでの戦争体験
池原※※(古堅)脳裏に焼き付いた沖縄戦
玉城※※(喜名)終戦直前から直後までの記録
金城※※(波平)台湾で家族全員を失って
波平※※(座喜味)妹を背負い山中彷徨
屋宜※※(親志)私の戦争体験

戦災孤児たちの戦争体験 藤本愛美

戦災孤児について
喜友名※※(波平)対馬丸の遭難を乗り越えて
宮城※※(大湾)私の腕の中で死んだ妹、そして母の死
大湾※※(渡具知)※※の戦争体験
伊佐※※ 山中で命の恩人に出会って
 ※※を山で拾って 東※※証言
戦災孤児たちの戦時状況(抄)

「いくさ場の人間模様」 渡久山朝章

はじめに
知花※※(波平)
知花※※(波平)
曽根※※(座喜味)
與久田※※(長浜)
石嶺※※(比謝)
山城※※(渡慶次)
上地※※(比謝矼)
池原※※(楚辺)
玉城※※(儀間)
与儀※※(波平)
砂辺※※(大木)
当山※※・※※(瀬名波)
儀間※※(渡慶次)
町田※※(牧原)
渡久山※※(比謝矼)
波平※※(座喜味)
ヤーガーの悲劇(宇座)
古堅※※(都屋)
池原※※(古堅)
又吉※※(都屋)
島袋※※(都屋)
喜友名※※(波平)
比嘉※※(楚辺)
宇江城※※(親志)
新崎※※について 話者 新崎※※(比謝矼)
山内※※(比謝矼)
仲宗根※※(儀間)
知花※※(※※)(比謝)
新崎※※(喜名)

座談会1 元役場職員座談会

出席者 町田※※、長浜※※、津波古※※、波平※※、上地※※、
    島袋※※、真玉橋※※、喜友名※※、真栄田※※、屋良※※
司 会 長浜※※、上原※※
役場側出席者
    町田※※、棚原※※
体験記
 真玉橋※※(喜名)十・十空襲そして恩納岳への避難
 長浜※※(長浜)国頭疎開引率

座談会2 沖縄県立農林学校第四十二期生座談会

出席者 伊波※※(古堅)、上地※※(楚辺)、大城※※(渡慶次)、
    知花※※(瀬名波)、照屋※※(波平)
司 会 玉城裕美子
事務局側出席者
    渡久山朝章、玉城栄祐、豊田純志、辺土名初美

座談会3 元特攻隊員座談会

元特攻隊員座談会
体験記
  金田※※ 誠第四十一飛行隊(扶揺隊)
元特攻隊員座談会(抄)
 出席者 久貫※※(茨城県出身) 上村※※(新潟県出身)
     菊田※※(北海道出身) 金田※※(福島県出身)
 司 会 大湾近常、泉川良彦、上原恵子

航空兵及び関係者の証言

長浜※※ 靖国号の青年飛行士
山内※※ 「靖国号」の墜落、そして生還
坂田※※さんの訪問を受けて
特攻隊員の日記 ― 長沼※※ ―

第七章 慰霊の塔は語る 宮城傳

一 沖縄戦と戦没者
二 県下の慰霊の塔建立の動き
三 読谷村内の慰霊の塔などの建立
四 字民を祀る慰霊の塔
  さくら之塔(喜名)
  永和の塔(座喜味)
  慰霊之塔(伊良皆)
  平和の塔(波平)
  慰霊之碑(都屋)
  護永之塔(高志保)
  忠魂碑(渡慶次)
  永魂之塔(儀間)
  宇座守の塔(宇座)
  永和之塔(瀬名波)
  真砂之塔(長浜)
  慰霊之塔(楚辺)
  慰霊之碑(渡具知)
  慰霊之碑(比謝)
  慰霊塔(大湾)
  慰霊之碑(古堅)
  慰霊碑(大木)
  慰霊碑(比謝矼)
五 その他の慰霊碑
  チビチリガマ世代を結ぶ平和の像及び記念碑
  古堅国民学校対馬丸遭難学童慰霊碑(古堅小学校)
  梯梧之塔